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【雑記】その正論、「その場限りの正論」になっていませんか?

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最近は読書する機会が増えたということもあり、自分の考え、思いの解像度が高くなってきたと感じています。

 

色々な人の考え方を文字で触れることが増えると、不思議と自分の考えも文字にして吐き出しやすくなり、頭の中でゴチャゴチャ思い浮かんだことも、ある程度整理が付くようになりました。

 

そんなこんなで40手前になって、物心ついた時からずっと自分の中で感じていたことを、文章に起こして整理しようと思いこの記事を書いてます。

 

ことの発端は、「私は口喧嘩が強いからね!」と自負していた母親でした。

祖母、叔母や親せき、周りからも母親は「口が強い」「気が強い」といつも言われていたこともあり、実際母親と口喧嘩になると相手の方が折れることがほとんどでした。

祖父譲りの勝気な性格をしており、潔癖症気味で、少し完璧主義者気味なところもあり、正論で相手の言っていることを真っ向から「それは違うだろ!」と言い負かす様な感じでした。

 

息子である私はそんな母親を間近で見ていたということもあり、争いごとになっても面倒・厄介だからと、母親の言うことをのらりくらりと躱していました。

しかし年齢を重ねていくうちに、母親が話している「正論」というものは、「本当に正論なのか?」と年を取れば取るほど「違和感」「疑問」を感じる様になりました。

 

話している内容を冷静になって第3者目線から見ている(聞いている)と、その時々の会話の情報だけでしか、善悪や正しい・悪いを判断しているとしか思えなくなってきたのです。

もちろん、話の内容によっては、その場で良し悪しを決められるものはあるかと思います。

ただ、相手の事情や、まだ話していない・引き出せていない背景などを考慮せずに、少ない情報だけでその場で「お前が悪い」と断じてしまっている。

「怒っている」のではなく、「ただキレている」だけな状態になっている。

そんな気がしてならないのです。

 

言われている方からしてみれば、「あー言えばこう言う」「とにかく返せば、反論を最後にしたものが勝ち」と見えてしまっており、肝心な問題や相談事の解決には至っていません。

※若干2ちゃんねるの「レスバは最後に書いた方が勝ち」と言われていた時代を思い出しました・・・(笑)

 

話をしている相手が求めているのは以下の2つに大別されると私は考えます。

  • 解決してほしいのではなく、ただ単に話を聞いてほしい。吐き出したい状態。
  • 自分だけでは答えを出せない。答えを出せても、自信が持てない。

 

前者はよくある世間話や、愚痴と言われるもの。結婚をしている旦那さんは、よく奥さんのからの「ちょっと聞いて~!」と切り出されるのはコチラになるかと思います。

※私自身の経験と、私の周りの夫婦関係の話を聞いた限りの話です。

 

後者は聞いている側としては、「ズバリこう!」といった解決策を知っていればそれでいいです。経験したことで解決策を知っているなら、根拠を持って教えてあげられます。

ただ理想としては、話している相手自身に答えを出させる、答えを気づかせる様に導くのが聞いている側のスタンスだと私は考えます。

怒りにまかせて只々相手の間違いを指摘するのではなく、問題解決のために一緒になって考えてあげる、という姿勢を相手にも伝わる様に話すということが、大人・社会人という立場ではないのかと思います。

 

皆さんは相手に対して指導するとき、怒らなければならないとき、本当にその人のための正論を話せていますか?

一般的に正しいことこそが、すべてになっていませんか?

職場や家庭で「なんか避けられてる?」と感じたり、相手と距離があると感じている時は、相手のための正論ではなく、自分のための正論になっているかのも知れません。

 

もしこの記事を見たことで、少しでもこのようなことを感じた、思い当たる節があるのであれば、一度自分が話した内容を思い出して、考えてみるのが必要かも知れませんね。

人を動かす「正論」の伝え方

人を動かす「正論」の伝え方

  • 作者:藤井聡
  • クロスメディア・パブリッシング(インプレス)
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